本日、1月17日で阪神大震災から22年になりました。
僕は当時、小学2年生。神戸に住んでいたので、まさに震度7を経験しました。
小学2年生の時の記憶なんてほとんどないのですが、あの阪神大震災だけははっきり覚えています。
幸い、僕の家族は全員無事でした。
親は大変だったと思いますが、僕は子供だったので、特に不自由は感じず、生活できていたと思います。
ただ、あの地震だけは神戸市民だけでなく、全員が絶対忘れてはいけないので、風化させてほしくないと思います。
22年経ったってことは、今の大学生でも経験していないことになるのですね。本当に月日が経ったなと思います。
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そして、その1995年にオリックスブルーウェーブが初優勝しました。
今のオリックスの一軍監督の福良淳一と二軍監督の田口壮は当時、1.2番コンビでした。
田口は言います。「当時は野球どころではなかった。神戸でのオープン戦初戦に来てくれたファンの方は覚えている。今年は絶対優勝しないといけないと思った。」と。
僕自身もオリックスが初優勝したということもあって、小学3年ながら1995年のペナントはある程度覚えています。
開幕戦はグリーンスタジアムでのロッテ戦。星野伸之と伊良部秀輝の投げ合いでした。
2-2の同点で迎えた8回裏、伏兵・勝呂が伊良部から勝ち越しホームランを打って勝ちました。
その年は独走状態で早くも優勝へカウントダウンという状況でしたが、忘れもしないのがマジック1で迎えたグリーンスタジアムでのロッテ3連戦でした。
その年はロッテが2位だったので、他力での優勝はなく、その3連戦で一つでも勝てればグリーンスタジアムで優勝という状況だったのですが、なんと3連敗したんです!!
まさかまさかだったのですが、その次のカードで歓喜の瞬間が待ってました。
西武球場(現・メットライフドーム)での西武戦でした。
最後の打者がファーストゴロで藤井康雄が自らベースを踏んで試合終了。
オリックスブルーウェーブが初優勝した瞬間でした。
阪神大震災で被災した神戸市民を勇気付ける優勝でした。
残念ながら日本シリーズは野村ヤクルトに1勝4敗で負けてしまいましたが、本当に嬉しいリーグ優勝でした。
あれから22年。1995年に生まれたオリックスの選手は、若月健矢、奥波鏡、園部聡、吉田雄人、山岡泰輔がいます。
個人的にはオリックスが初優勝した年に生まれた選手にすごく期待しているので、頑張ってほしいです。
本当は節目の20年を迎える2015年に優勝して欲しかったですが、今年こそ優勝してほしいと思います。
最後まで読んでくださってありがとうございます。勝利を頂!
そっかそうなるのね…
今やボギは警備員、そういう不測な事態でも
冷静に動かないといけない
オタクジラさん
警備員はなんかあったときのためですからね。大変だと思います。