平野佳寿がメジャーリーグ、ダイヤモンドバックスの入団会見を行いました。
しかし残念ながら、大谷翔平と比べて扱いが小さく、平昌オリンピックもあるためか、全然取り上げてもらえません!
なので、少しこのブログで触れたいと思います。
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まず、「ダイヤモンドバックスの一員になれて光栄です。」と英語で挨拶。
そして、自分の事は「YOSHI」と呼んでください!と。
日本では「よし」と呼ばれたことは聞いたことなかったので以外でした。
そして、背番号66番は自分で選んだとのこと。
日本代表で66番をつけていたこともあり、その時のピッチングを評価されて獲得してもらえたと思うから!と。語ってくれました。
その理由は僕らにもわかりますね。侍ジャパンで66番をつけていたから、ダイヤモンドバックスでも66番なのだろうと。
でも、侍ジャパンで66番をつけていた理由がわからないですね。笑
1の位が6番なら何でもよかったのでしょうか。
オリックスで12年所属して、いよいよオリックスバファローズ初のメジャーリーガーとなりました。
ここに来て平野佳寿の日本での活躍が思い出されます。
確かプロ初勝利はいきなり完封でしたよね。ロッテ戦だったと思います。
その前に開幕カードの最終戦でなぜか打者1人だけ登板していました。
ヒットを打たれ、それだけで降板。
当時の監督は中村勝広でしたし、今思えば本当に謎の采配でした。
そして、印象に残っているのが清原和博の横浜戦での逆転サヨナラ満塁ホームランの試合。
その試合、平野佳寿は先発して6失点ながら完投しました。
9回裏に清原の満塁ホームランでサヨナラ勝ちし、平野佳寿に白星が転がりこんでいましたね。
ルーキーイヤーの2006年は日本ハムの八木智哉と新人王争いをしましたが、八木に譲りました。
その後は故障続きでなかなか活躍できませんでしたが、2010年、岡田彰布監督になってから中継ぎとして再起してくれました。
そこからは一軍の勝利の方程式に欠かせない存在になり、抑えのエースとして活躍してくれましたね。
大事な所で打たれることもありましたけれど、オリックスの抑えは平野佳寿しかいないと思ってます。
そんな平野佳寿もいよいよメジャーリーガー!
オリックスバファローズ代表として、堂々と活躍してほしいと思います。
まずは抑えのエースのポジションを勝ち取れるように。
そして、まずはプロ初セーブを期待しています!
今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。勝利を頂!