スポーツ内閣 オリックスと仰木監督が残したもの

「戦え!スポーツ内閣」今回のテーマはオリックスと仰木監督が残したもの!です。

 

1995年1月17日に阪神大震災があり、今年で23年を迎えました。

 

今回のスポーツ内閣では1995年のオリックスの快進撃について振り返っていました。

 

ゲストには田口壮、平井正史、パンチ佐藤が出演です。

 

 

1995年の阪神大震災は、僕自身も神戸出身だったため、震度7を経験しています。

 

当時は小学2年生でした。

 

小学2年生でしたけど、阪神大震災の事、オリックスブルーウェーブが優勝したことははっきり覚えています。

 

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その1995年のオリックスブルーウェーブ、リーグ優勝の軌跡を振り返ってみましょう。

 

開幕戦はグリーンスタジアムのロッテ戦でした。

佐藤義則と伊良部秀輝の投げ合いで、終盤まで2対2の投手戦に。

 

そして同点で迎えた8回裏に伏兵、勝呂が決勝のホームランを打って勝ちました!

 

 

また、その年は記録ずくめ。

4月には野田浩司が1試合19奪三振の日本記録達成(千葉マリンスタジアムでのロッテ戦)。この記録は未だに破られていません。

 

8月には佐藤義則がノーヒットノーラン達成!(藤井寺球場での近鉄戦)

40歳を超えてのノーヒットノーランは史上初でした。

 

 

そして首位を独走し、いよいよ優勝マジックも1に!

グリーンスタジアムでのロッテ3連戦を迎えました。

 

超満員のグリーンスタジアム神戸でしたが、なんと!まさかまさかの3連敗で神戸での優勝を逃しました。

 

当時、2位がロッテだったので、他力での優勝はなく、この試合に勝つしかありませんでした。

 

 

神戸での優勝は逃しましたが、次のカードである西武球場(まだドームではない)で優勝を決めました。

 

ちなみに僕自身はマジック1で迎えたロッテ戦は見に行ってましたよ。

 

次の西武球場での西武戦は関西でも地上波で放送!

小学3年生ながらテレビの前で釘付けだったことを覚えています。

 

 

リーグ優勝はしましたが、日本シリーズでは野村ヤクルトに惨敗(シリーズ1勝4敗)でした。

 

神戸でのリーグ優勝と日本一の忘れ物は次の年1996年に回収するわけですが、震災で傷ついた神戸市民の心にはリーグ優勝で十分でした!

 

 

今のオリックスの監督は当時の2番セカンドだったわけなのでね。なんとか今のオリックスも優勝に導いて欲しいですね。

 

 

1995年の阪神大震災とオリックスブルーウェーブの優勝は、神戸市民、オリックスファンにとっては忘れることはできません。

 

阪神大震災も風化させてはいけない。

震災を経験していない人やオリックスブルーウェーブの優勝を知らない人には伝えていきたいと思います。

 

 

 

 

 

今日も最後まで読んでくださってありがとうございます。勝利を頂!